03.31.23:46
ボートにかけた青春
今日で3月も終わり、僕の高校生(いちおう今日までは旭丘生)としての節目になる。4月からはそれぞれが進学、進級、浪人、就職など法律の定義上いろいろと変わってしまうわけで、僕にもまた新しい生活が待っている。この部ログに、記事を投稿するのもこれが最後である。
最近パソコンを買い換えて、データを移したり、古い写真を発掘したりしながら、3年間のことがいろいろと思い出された。もともと写真が趣味で、中学のときにデジ一眼を買って使い続けているが、大会のたびに、また事あるごとに持ち歩いていたので、部活の写真はハードディスクの大部分を占めていて整理が大変だった。
しん
〈以下〉ボート部で過ごした3年間を振り返って (長編)
2006年3月23日 合格発表の翌日だった。喜びと期待を胸に、旭丘に説明会に来た。そこではいろいろな部活が必死に勧誘をしていた。おそらく、今年の新入生も驚いたのだろう。 家に帰って鞄を開けると先ほどもらったビラが山ほど、そのなかに気になるものが1枚あった。 『ボート部?』 「2004年男子舵手つきクォドルプル 全国優勝!(エイトの絵が描いてあったが、当時はわからなかった)」 ... 『クォドルプルって何だ? でも全国優勝はすごいな。 時間があったら書いてある「試漕会」ってのに行ってみようか』
入学式、始業式 僕はラグビー部やバレー部からはさんざん勧誘が来た。もともとスポーツは苦手(体力テストぎりぎりC)だったし、中学でも体育の球技ではいつもボールに触れないよう逃げていたような人だから、即断った。ボートは球技じゃないし、どんなボートだろうといろいろ想像(舟形のドラゴンボートみたいなのをイメージしてた)を膨らませていた。直接声をかけられることはなかったので、SFがおわったあと、直接集合場所に行ってみた。
この日から僕の人生は変わった。試漕会に行って、漕いで、その帰りには『ボートしかない』と思えた。写真部との兼部も問題ないようだ。
入部してまもなく先輩たちのレースというものを見た。始めてみたレースは、マスターズだった。(今年は中日本かな) スタートの手伝いがあったので、間近で全国レベルの選手の漕ぎを見ることができた。
学舎も近づき、僕はトーチとも兼ねていたので、ハンパなく忙しかった。それでも強くなりたい一心でなるべく休まないように練習していた。このころからシングルに乗り始め、先輩たちは1時間ちょっとで上がってくるのに、「疲れたら上がっといで」と言われたのにも関わらず、時も忘れ、「戻って来い」といわれても『もうちょっと』と、毎日2~3時間くらいは勝手に漕いでいた。
夏、インターハイの応援に行った。何もかも新鮮だった。 『次は僕が行く』 そう心に決めて、暑い夏も乗り越えた。
冬、シーズンオフであまり漕げなく、練習ができる日は何があろうとも練習に行った。
体力がついたし、体が柔らかくなった。2年の体力テストもAがとれた。
シーズン明けて最初の大きな大会、中日本レガッタ。ここで光が見えた。県総体までも時間があり、引退しちゃう前に先輩とクルーを組みたいと思って必死にプロポーズした結果、青Tの助言で「旭丘最強のクォド」を作ろうということになってレースでクルーを決め、そこに入ることができた。練習はそれまでの自主的なものとは違いかなり厳しかった。先輩についていくことがやっとだった。レース当日は緊張と恐怖も感じられた。『もしスタート失敗したら... 途中でバテないといいな』などと考えてガクガクしてた。
発艇前、先輩が「俺たちがいるから大丈夫」と。 少し安心した。
レースは心配とは裏腹にどんどん勝ち上がって決勝まで行った。その年のインターハイ優勝クルーもいて、辛いレースだったが、3位に入賞できた。県内では一位だった。
結局は僕たち2年生の力不足や油断、クルーとしての練習不足なども響いて、県総体優勝できず全国大会にはいけなかった。本当に悔しかった。先輩にも申し訳なくて、国体ブロックでは涙が止まらなかった。
そんなこともあって夏以降は後輩が強くなるよう、たまにクォドに乗ってみたり、また楽しく練習ができるよう努力していたつもりである。
その気持ちは伝わっただろうか?
気持ちを切り替え、8月はじめの市スポでダブルを組んだ。組んで2週間弱、大学生と競って優勝した。
それ以来、引退までほとんどこのダブルで大会に出続けた。
新人戦は優勝したが、その先の中部選抜からは全国に上がれなかった。(ここで卒業式の服装は決まった)
でも、また県内では一位だったので、今度こそ行ってやると思って冬を越した。
再び新入生が入ってきた春、再びあのダブルを組んでいた。
中日本、諏訪湖と、シーズンはじめのレース、県内ではずっと2位であった。サボってたわけでもないのに、いつも負けていた。県総体も予選、準決勝と、タイムでは2位にとどまった。それでも自分たちを信じて、いつもの練習を思い出して、決勝のレースを漕いだ。 それまで重くのしかかっていた先輩たちや青Tが、後ろから引っ張ってくれている気がした。でも自分たちのレースができた。スタートしてすぐ『勝てる』と思った。残り300mで確信した。(今まではそんなことはなかった)ゴールして、水をかけ合って喜んだ。
インターハイは準々決勝までしかいけなかったが、得られたものは大きかった。卒業後、大学でも、またその後も、ボートとは何らかのかかわりをもって生きたいと思った。
1週間後、試漕会の手伝いに行くことになった。
新入生には、この部活のよい所を、いろいろとわかってもらいたいと思う。
最後に
マイケル・・・忙しいところ更新ありがとう。毎日とは言わないから無理しないでがんばって。
マイケルの後継者も募集!!
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